フリーガンから考えるサステナブルな消費
フリーガンですが、ウィキペディアに定義が載っていて、ピッピー文化の流れをくんでいるとか、大量生産大量消費大量廃棄を批判するとかホームレスでないと言っていましたが、さっき映像に出てきた彼女は高校の教師で、アイロンをまねていた彼は一流の金融マンで年収2000万円を超えていたけれども仕事を辞めたとか、そういう人が沢山います。この人たちが何を考えているのだろうというところで話が進んでいます。
サステナブル・コンサンプション、日本ではまだあまり馴染みのない言葉ですがこれも定義があります。ひとつだけではなく様々な定義がありますが、一番古いのが1994年のノルウェーの環境省から出ています。これ以降90年代から現在まで10数年間使い続けられていますが、フェアトレードに代表されるもののように、日本だけのものじゃなく海外との関係、他の地域との関係を重要視するという概念が非常に色濃く入ってきています。従って今新たに定義する、これは昨年のアメリカのISID,ISAの会議で盛んに言われていたことですが、掻い摘んで言うと自ら消費するにあたり、地球上の自分以外の人間、今地球には65億5千万人いますから64億4999万999人のことを考えるということです。もうひとつはその自分に続く世代、発表者は「ネクストジェネレーション」と10回繰り返していましたが、10世代先への影響を考えて消費することを決めるということです。これ考えると何も買えないですね。わからないことだらけですから。ですが、そのくらい考えて消費をしようというのがサステナブル・コンサンプションの基本的なスタンスです。それは新しい消費にしてもそうですが、再生することも入るだろうとトム・ジョンソンさんが付け足してくれました。
例えば、国産の野菜、今我々が食べている野菜では、根拠は様々で野菜によって異なるので一概に正しい数字とは言えませんが、30%が間引きされて更に収穫されたものの30%は規格外で廃棄されます。そしてせっかく流通に乗って売られたものも30%が残されて捨てられています。(画像3)我々は1/3しか食べていないということです。つまり我々の実質的な消費は生産量の1/3で、2/3は廃棄されているわけです。3倍無駄をしている、そこに着目すべきです。このときにどう考えるかが一番重要で、もちろん廃棄されているものを廃棄されないようにすることなのですが、廃棄されているものもゴミではなくて第2のリソースです。それを活用することを考えなくてはいけません。その中で地産池消や全体のパフォーマンス、新しいライフスタイルの価値や第2のリソースの雇用を考える必要があります。あるグループでは愛を持って使うとか、メンテナンスで長く使うとか、消費期限に頼らないという意見が出ました。黒崎さんからは、環境に良いとして売られている洗剤も、生産地では大変な環境破壊を起しているということが実際にあるということを我々は情報として知らない、知らずに環境に悪い商品を買っているというお話もありました。そのグループでは、若者はやってみたら楽しいというように、知らず知らずに変わってきていると肯定的な意見も出ていました。でも日本のスーパーマーケットは外から見えないように捨てるのでフリーガンは出来ないですね。
ディスカッションからの考察
高い車を買うより自転車のほうがお洒落だとか、あるいはもっと打算的にお得だとか、新しいビジネスが見つかりそうだとか、そういうところから次々に変わってきています。世の中は思っているより簡単に変わるのではないか、イモムシが蝶になる時にプロセスがみえないように、実は世の中は今サナギの状態なのかもしれないというお話もありました。減るのがわかっていることが気持ち悪い、かっこ悪いとか、物質的な消費よりも情報に関心が移っているのではないかということでした。
第2の流通、簡単に言えば骨董のような世界なのかもしれないし、生産者側が敏感に感じ取って新しい世の中をつくっていく方向に向けばいいのではないでしょうか。なかなかいい比喩だと思うのですが、顔の見える料理は残せないものですから生産者と消費者は一緒に語り合う、そういうコミュニティ、新しい人間関係を作っていくのが重要だと思います。デザインを一度リセットしたらどうかということです。
最後に黒崎さんがみんなで未来シンクタンクを作ろうとおっしゃいました。日本初のインディーズのシンクタンクを作り、そこに商品開発する知恵を結集してオープンリソースで全ての人に中立的な立場でコンサルティングしていこうということです。