今のご紹介ですと突然グリーンピースの事務局長を引き受けて、アクティビズムに接触したと思われたかもしれませんけれども、僕にとっては、今お話しした生い立ちというものからして、行動という者がいつもあるのですね。一番最近は先程お話しした中からいうと大学をやめていこう20代いっぱいは遍歴、というか放浪ではないですが、いろいろ学びたい対象をしぼり、インド、日本各地、アメリカと、生活の場所を移しながら学んできて、最終的に日本に戻ってきた時に、30歳になって、鹿児島県の屋久島、今世界自然遺産になっておりますが、1982年に移り住んで以来、今も家も農園もそこにあり、今も自分の一番のホームベースが屋久島です。
そういう中で、一方ではものを書く、これは日本に紹介したらいいと思う本を訳すという仕事をしながら、自然と密接に接しながら、生活の形態も自給自足とまではいきませんが、自分たち家族が食べるものは安全な、納得いくやり方で作って、それからまた、自分たちの生活から出るものもなるべく自然を害さない生活を実践していました。それも一種のアクティビズムですね。自然と共生するようなかたちになるべく変えていくのも行動です。
長い間同じ地域に身を置いていると、ぼくは生まれたてから一番屋久島が長いのですね。26年ですけれども。親が動いた人たちだったので、本当に一つの場所に長く居たというのは、屋久島で、一つには季節、自然のめぐりというものを屋久島で体験することができました。それまで、どれだけ動いていたかということですが。鳥の渡り、桜前線、植物の移り変わりというものを、わたりというものを初めて体験し、そうして、一つの場所にみをおいていると、地域で起こっている、見過ごせない、黙っていられないというようなことが生じてくる、起こって来るんですね。
アクティビズムをしようと思って屋久島に住んだわけではないのですが、日本で自然、英語で言うWildness、人間の手の付かない自然の状態のところに住みたい思い、手が付かない状態の自然と身近に接しながら生きていける場所というのを探して、屋久島に移ったのですが、20年以上いると、普段は大人しくものを書いて暮らしていますが、何度か、それはやっぱりまずいのではないか、と、どうしても乗り出していってしまう曲面がありました。今日はそのあたりからお話しすることで、ぼくが体験的体感的直感的に理解しているアクティビズムをお話ししていきたいと思います。
アクティビズム、アクティビストには、文字通りアクトということが入っていますから、「行動する」という要素が非常に強い。それを指す言葉だと思います。
それから、最初にお話ししておくと、今日ぼくがお話しをさせていただくことは、ひょっとしたら第一回、第二回これまでの会議にご参加の方にとってはあたり前で、たいして新しいことでないよということではないと思われるかもしれませんが、ひとりの人間として皆さんと同じくサステナブルな社会というものを強く目指す人間のお話しとして聞いてください。
普通の今の世界というのは、基本的な単位というのが、ネイションステイト国民国家というのが区切りとなっていて、それの善悪は置いておいてですね。その中にそれぞれの国の中に生きる人間として社会に関わっていくには、有権者であったり、選挙するというかたちで、あるいは納税者として、必要な税金をおさめて、その税金をどう使うかというのを話しあったり、代表者を決めて、通じて決めると。
非常に短絡的というか、国とは何か、政府とは何かということを一言で定義すると、主義主張、イデオロギーというものを取り払って、国民国家という者で何をしているかというと、皆で出し合った税金をいかに自分たちのため、あるいは社会全体のため、あるいは世界全体のため、あるいは未来の世代も含めて、いかにより良くその税金を使っていくかというために政府があって、我々は税金を出し合い、有権者としてその税金の使い方を決めるということに参加して行くわけですが、それがどうこうということは後々お話ししていきます。
それに加え、現代社会では職能のプロフェッショナルとしていろいろ自分が関わる仕事で一生懸命成果を出し、そのことによって社会と関わってくという形があります。アクティビズムというと、それに加えて何なのかというと、それだけではどうしてもはみだしてしまう、足りない、見ていられないということがあった時に、やはり直接的に行動するということで、職能プロフェッショナルとしての生き方で足りないのがアクティビズムでないかと思います。
選挙、納税、仕事を通じてよりももっと直接的な関わり通すことがアクティビムであると思います。それがいろいろな形態があると思うのですが、よくあるのは、地域住民として身近な問題に気付き、それをなんとかしなきゃと思い、まわりの人と何かするというかたちがありあす。
それから、それとは逆に、地球全体の問題を考えた時に、有権者、プロフェッショナルのかかわりでは不十分だというところにアクティビズムがあります。
Think globally, act locally.という、言葉が巧妙で、当たっているところがあるんですけれども、今日はあえてまた再びこの言葉を持ち出す理由はですね、実際生きていくと、必ずしもこの言葉のきれいごとでは済まないと。この間にかなり矛盾や軋轢があり、この両方をもちながら、考えにいれながら、様々な問題を解決に向かって動かして行くという時に当たっているようでいて、でも非常に課題の多い標語だなと思うのでここにまた出しました。
基本的には合っているのですが、何でしょう、各論というか、現場ではなかなかこう言い切るだけでは済まないというところがある。そういうことを今日お話していきます。
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