ユーザーはどういう評価をしてくれるのかということですが、ユーザーの評価基準は本当に多様化しています。つい最近までは、ユーザーの評価はマーケティグによるある程度決まった評価基準がありました。刺激的で、いかに消費者を魅惑して買わせるか。
しかし、今、それは変わりつつあり、世界はもっと多様化しています。まだ、先程のようなマーケティング、不ランディングによる評価がマジョリティではあるかもしれませんが、多様化しています。それは何かというと、「人間の身体の健康」。そして、もうひとつ、「社会的合意性」。表立っては語られないけれども、ユーザーの中にこのような評価ががでてきていることを、日々、我々も感じるようになってきました。
先程の長坂さんが議論の中でおっしゃっておられたのですが、我々は、例えば、高いコスト、資源を投入すれば素晴らしいものができるかもしれない。けれども、限られたリソース、資源のなかで、ローコスト?お金だけでないコスト、すべてのエネルギーなどを抑えた上で高い品質ができたときに、すごいという声がユーザーからあがる。そういう時に、やった!と思う、ということをおっしゃっていました。それをきいて、私もまったくそのとおりだと思いました。
18世紀の一部の王侯貴族など、職人二世代に渡ってものを作らせ素晴らしいものを作っています。しかし我々の現代は、デモクラティな社会です。一部のセレブリティが楽しむものがハイデザインだということではありません。ものづくりは一人の為のことではありません。デザイナー自身がユーザーでもあります。
ハイコストでなくとも、同じくらいの満足を届ける事に、我々の喜びがあるんだということです。オリジナルであるけれども、みんなが手を伸ばすことが出来る、ということです。
どういうことがユーザーの判断基準なんだろうということを考えていきますと、そこでようやく「サステナビリティ」にたどりつくことができます。どういうものがユーザーに満足感をあたえられるか。「original=オリジナル」「exciting=わくわくする」「usable =使える」「reasonable=ほどよい価格である」、そして、安全性ということもあるけれども、今後はかなりの部分「サステナビリティ」というところがユーザーにインパクトを与える。
そういうことをデザイナー自身がはっきりと意識化できたとき、サステナブルデザインに向かうモチベーションが起こってくるということだと思います。
最初のほうに、IEDOの提案「デザイナーズ・アコード」がありましたがそれに我々は賛成するか?という話もちょっとしました。多分それは違うだろうと。「デザイナーズ・アコード」はいかにも上から目線でデザイナーを上から下に見下しているようなドグマティックなもので、我々は「diversity=多様性」、それぞれの人の考え方やそれぞれの人のクリエイションのモチベーションを多様に考えることを譲歩しないという結論にいたりました。